東日本大震災 7日間記録
3月11日 2時46分 茨城沖M9.0(当初は8.0~8.9)福島 岩手沖も
大宮は震度5強 かなり揺れる 最初ぐらぐらして、そのうちさらに強まり、建物がミシミシ音を立てる
つぶれるかも死ぬかもという恐怖と覚悟をした。電気はちらついたが停電せず。
診療中で、患者さんもみな立ち上がり、待合室に集まる
何も動けないことがわかった。机の下に隠れるというが、そんな机やテーブルなどなかった。
ビルの外に飛び出た方がいいのか?とよぎるほどだが、上からの落下物があるため危険。
5階に飛んでいくと、妻と子供がテーブル近くに。子供は怖いと泣いていた。
エレベーターは震度4以上なので停止。リフォームしたばかりの階段のモルタルペンキが2階で
はがれていた。柱にはヒビははいっていない。3階も少しはがれている。
1階は何も落ちなかった。2階は本棚が散乱した程度。3階のテナントもOK 5階は皿が飛び出て
割れた。コップも。絵の額はズレテいる。冷蔵庫の中身は飛び出し、引き出しも飛び出す。
ガスはもちろん勝手にストップ。電気はOK 水もOK。棚の上の写真立てyぬいぐるみは落ちる
液晶テレビはぎりぎりずれたぐらい。洋服ダンスはひっくりかえっている。
やはり、台所の皿やコップが割れているエリアが危険なのが分かった。足元が危ない。
その後も、すぐに余震が続いた。となりの大きな病院やまわりのビルの人々が道路にあふれ出ていた。何も壊れていないのでまだましだったのがわかる。
テレビでは宮城地震だと判明。大宮でこの揺れならばあ、宮城はどんだけ揺れたのか?と恐ろしくなった。そのご、30分から45分後に宮城y仙台の漁港や町に津波が襲った。
6時ごろまで医院を営業 弁当やパン、飲み物をスタッフの分を隣のコンビニから買ってくる。
夜は弁当。患者さんは、東京から来ていた矯正患者さんの女性。一度帰ったが、大宮駅では
電車が止まり人でいっぱい。それで、医院に戻ってきました。
衛生士も2人帰れず、結局患者さんと3人で一晩泊った。いま、こうして書いている途中も、2回ほど
震度4、震度3と、千葉沖、岩手沖で余震。
駅では、帰れない人が関東中で増えて、渋滞。徒歩で帰るひとがたくさんいた。5時間兄は歩いたそうだ。その日は、余震がきまくった。岩手、福島、宮城はもちろん、夜中は長野6、新潟4、千葉4、と東北関東全域で余震がちらばっている。眠れない。テレビでの地震警報が何回もあるたびに飛び起きる。
このころ、茨城の患者さんは、茨城の北なので、停電水道もストップ 停電は4日水道も4日くらいストップ。 茨城の猿島群は2日停電 古河や菖蒲は大丈夫だったようだ。うちの衛生士は茨城のほうの出身。
大宮n学校などでは、すこしヒビがはいったなど。 古いビルはヒビがはいった。
2日目の12日 朝7時からJRは動くと言っていたが、結局9時~10時にならないとうごかなかったらしい。が、結局動いても、本数が少ないので、かなり苦労したようです。
衛生士さんたちや患者さんたちは、帰宅。2日目も仕事をしながらしょっちゅう余震が。震度3~4
が何回も。でも初日の夜中よりまし。というか、被災地を考えれば、問題ないくらい。
テレビでは、津波の映像を見て、被災地の被害がすごいことが日本中世界中に知れ渡る。
気仙沼が家事。火の海。千葉では石油コンビナートが火災。原発の被害は、今日の大問題になっているようなことはまだなかった。
コンビニからカップラーメンや携帯の充電電池、電池、弁当などがだんだんなくなっていく。
3日目は、日曜日。イオンに行くと、トイレットペーパー、カップラーメン、電池、弁当、麺類などがなくなり始めていた。すっかりない。
そして、ガソリンがなくなり始めた。これが予想外にガソリンがなくなっていくのが速い。
計画停電という言葉がテレビで流れ始める。これは日曜の夜、東京電気が突然はじめた。
4日目の月曜日 突然の計画停電案ということで、JRが電車を終日ストップ。駅では会社に行けない人であふれた。衛生士さん二人は、出勤できないので休み。助手さんたちはバスや自転車で出勤。
街中から電池が消える。懐中電灯もきえた。インターネットでの防災グッズは完売。物資が買占められて、パニック買いに近い。株の市場もパニック売り。円ドル79円。日経9000円割る。
東京からの患者さんはキャンセル。地元の患者さんのみの診療。オペもキャンセル。西大宮からの放射線科からの電話で、CT撮影の予約患者さんたちはキャンセル。1か月ほど予約が延期になりそうだ。3月の毎週のオペはすべてキャンセル。オペは4月以降へ。余震と停電計画のためオペは無理
茨城の患者さんは来院さえ難しい。秋田の患者さんもそうだろう。横浜の人は?静岡の人は来れるのか?仙台の飯塚さんは大丈夫だろうか?仙台のサトちゃんは?
4日目すぎから原発が爆発しはじめる。地震と津波の問題もひどいが、原発という緊急異常事態の危機がせまってきている。チェルノブイリになってしまう恐怖。いったい日本はどうなるのかと日本中が心配しはじめている。山梨や静岡でも6の地震。富士山や東海の不安もある。
7日目の今日は、余震がまだ続く。そして、6日目から始まり始めた計画停電を体験。
突然消える。計画停電の地域もはっきりしないので、停電した時間で、自分がどのグループかわかる。さいたま市はグループがいくつか分かれている。駅だけは電気が消えない。もちろんそごう、ダイエー丸井あるシェなどは、閉店。銀行も閉店。今日は、みずほがATM停止。やはり、引き出しや両替は先に。停電すると、駅前の信号だけはつく。が、他は信号はつかない。ので、車は事故になりそう。
そのため渋滞が国道沿いで発生。大宮バイパスまでの手前まで停電。バイパス向こうからは、グループが違う。コンビニや店は閉店。駅前だけコンビニが暗いなかやっている。停電すると、ビルは非常事態用の充電があるため、いくつかの蛍光灯や黄色いランプなどが30~40分はテントウしている。
もちろん、階段の電気はつくようになっていることが多い。30~40分すると、ビルの充電が切れてくるため、だんだん暗くなり、すべてのビルやマンションのあかりが真っ暗になる。他の明りとしては、
車が走っているランプと、自転車のランプ、あとは、月の光など。今日は、満月に近いのでかなり外は明るいことが実感した。お月さまは最高の明りだ。皮肉にも月明かりの美しさに気付く、感謝。
停電の外を今日は、自転車で調査したが、普段なら危険なのでやめたほうがいい。ひかれてしまうかも。信号はついていないのだから。もしも、地震でていでんしたならば、本当にまっくらだろう。被災地の方々の不安はいくばくか。私の愚かな行動をお許しください。
さきほど、76円と。原発は最高に危機。放射能の恐怖のため、イオンに行くと昆布やわかめが消えた。地震を体験すると分かったことは、地震の後が大変なことがわかる。地震が起きて終わりではなく、始まりなのだと。さまざまな難関と問題が次々と発生してくる。先が読めない。今後はどうなるのか。神のみぞ知るとはこのことだろう。
今回、消えていったもの。新燃岳の火山爆発でシャベルがすでに消えていた。防災グッズもけっこう消えていただろう。
今回の地震からは
弁当 カップラーメン パン 電池 単1が完全に消える 懐中電灯 ランタンは完全に消える
携帯の補充用充電器、トイレットペーパー、ガソリン、ティッシュ、電池単4、単3消える 停電がはじまると、エネループなどの充電電池が完全に消える ラーメンなどの麺類消える 水が消える
冷凍食品が一時売れるが、停電の影響で冷凍できないため再び現れる。生理用品もかなりなくなる
寒いと、ホッカイロも消えていく。お菓子。
おむつもかなり消える 牛乳もだんだん。カップラーメンはときどき入るが消える パンもすぐ消えてしまう。イオンなどの大きいところほど消えるのがはやい。ガソリンと灯油がなくなると、本当に打撃なのがわかる。あとは、電車が動かないか、本数が減ることも打撃。
被災地ではやはり、水と食料、ガソリン灯油、寒さはかなり応える 薬も不足
みずほ銀行のATMは毎度の通りシステムダウンする。みずほをメインバンクにしては危険な気がするのは私だけではないだろう。両替はやや。自転車がないと困るので、自転車を買う人が増える。携帯はドコモが強いことが判明。AUは△ ソフトバンクは地震警報がならない。これは運命分けるかも知れない。
今後はドコモにかえる人が増える。自動車は電気のハイブリッドだろう。レインコート、マスク
地震警報の携帯やNHKの地震警報は役立つ。ラジオもNHKがFMで聴ける
インターネットでもラジオが聴ける。ソニーのうオークマンもラジオ。子供はDVDプレーヤーがあるといい。
いま、一番の問題は被災地と原発問題
日本中が、いま感謝すべきは、原発問題に取り組んでいる、死を覚悟した東電の方々と自衛隊。
放射能による死の影響を覚悟で必死に戦っている人がいます。
神様仏様に祈るしかありません。日本をお守りください。
投稿日:2011年3月17日 カテゴリー:日記, 未分類